親の自覚 ~ シナナイ子どもをつくる親の責任 ~

 いつもご支援頂き、誠にありがとうございます。
当記事は、NPO法人保育所風の子 園長遠藤の個人的な著述です。

ここに書くことは個人的な見解も含みますので、みなさん自身の
ご意見やご感想も聞かせていただけると、とてもうれしく思います。

これからもどうぞ宜しくお願い致します。


はじめに ~ シナナイ子どもをつくる親の責任 ~

「現代では子どももストレスを感じると言われますが、やはり2歳ぐらいの子でもストレスを感じることはあるのでしょうか。
と言うのも、自宅で多少、暴力的になる場面があり、園でも、そうなっていないか不安です」(保育園の連絡帳から父親の質問)

 子どもが感じ取っているストレスにも善玉・悪玉の2つあることが分かっています。ストレスというと一般に悪いことばかりを連想しますが、これから生きていくために、また、健やかな成長を促す過程において、必ず訪れるストレス(善玉)は必要なものと思われます。

 子どもが自分の衝動のままに動くこととは反対に、一歳・二歳であっても、やってはいけないことと、やらなければいけないことに対して、自我の芽生えと共に、大人の助けを得ながら、こころのバランスをとり、そして感情を子ども自らコントロールしていくことが大切なことです。

いたずらや、親への反抗的な態度というものも、バランスをとるための大切な成長の訓練の一つですし、「子どものやること」とはいっても、甘えと駄々をこねた様子を全て一緒にして考えて、許していてはいけませんね。


『(二歳児検診での)子どもの成長ぶりに、小児科の先生も驚きの連続で、自己紹介ができるようになったことや、靴の脱ぎ履きができることなどを伝えると「マジ(驚)」って言わせちゃいました。
先生も「保育園の環境がいいんだね~」としみじみでした。赤ちゃんから、お兄ちゃん、お姉ちゃんまで一緒に居ることが、色々な意味で刺激になっているようですね。こういう積極性は、どんどん養ってほしいです』
(同じく保育園の連絡帳から母親のご意見)

 今の世の中、異年齢保育は重要な意味があると思います。

他の保育園・幼稚園に通うお子さんを時折お預かりすると、年齢に拘りなく、四歳・五歳であっても、園生活がスムーズに進行するわけではりません。

慣れない環境であることを差し引いても、周りの話も聞けない、我慢ができない、同じ年齢であれば遊べるけれども、自分より年齢の低い相手に対して、思いやりも持てないなど、コミュニケーションの苦手な子どもが増えている様子がうかがえます。


 ここのところ、犯罪の低年齢化が言われています。平成16年6月1日、長崎県佐世保市で小学生が同級生を殺傷する事件が起きました。

子どもの残虐性が、大人の不安を駆り立てています。反対に、子どもの無気力さも浮き彫りにされ、リストカット(自殺未遂、自殺狂言)や自殺など、日常的に、「自分探し」と「(自)死」が隣り合わせの子どもたちの姿が世間を騒がせています。

日本人の生活習慣の変化や、親のライフスタイルの変化、現代社会の街並みのつくりは知らず知らずのうちに親子の間に距離感をなくし、結果として、子どもの自立を妨げるなど、特に、子育ての矢面に立たされる、母親の子育てに影響を及ぼしていることが想像できます。

私の仕事上の経験でも、実際に家庭内における親子関係の希薄さや、親自身も気付いていない虐待、社会に翻弄され、社会に適応できない子どもたちを見て、とても複雑なものを感じてきています。


 子どもは、成長の階段を一歩ずつ上るとき、1つ1つ、そして生涯、数多くの「選択」をしていくこととなりますが、近頃、「叱らない子育て」の蔓延によるものか、子どもと対話ができるようになったとたんに、その子どもに対して、安易に、その「選択」の機会を与える親たちが後を絶ちません。

選択をするということは、選択肢、双方の行く末を想定することのできる能力が備わっていなければなりませんし、選んだ、その結末を、子ども自身がこころで受け止め、迎え入れられる意思が具わっていてこそ、例え、その選択の先に、困難が待ち受けていたとしても、乗り越えていくことのできる力をもつことができ、また、失敗は糧となり、成功は自信へとつながります。

 時に、子ども達の発想力は、大人の予測を超え、大人を驚かせ、楽しませてもくれるし、悩ませもします。そのため、まるで、子どもの発想は「無から有を生み出す」かのように大人を錯覚させるときがありますが、その多くが、必ず、必ず経験・体験、見たもの・感じた物事に基づきます。

「無から有を生み出す」ことは、ほとんどの場面においてありえません。多くが、必ず子どもの経験・体験、見たもの・感じた物事に基づくのです。


 子どもの発語機能について、少し、ご説明します。ここでは、専門的、正確・詳細な説明は意味がありませんので、あくまで、イメージでとらえてほしいと思います。

子どもは、生後八~一〇ヶ月前後から言葉では発語できないけれど理解している状態、内言語(ないげんご)という発語時期を迎えると言われています。

 その後、例えば「ワンワン・ウマウマ・マンマ・ニーニ」などの意味のある発語『喃語』(なんご)を発し始め、しばらくして、正確に単語を発音することができるようになります。

これらは、音を聞き取る力と、記憶からイメージを導き出す力、唇や舌、喉(主に声帯)を、頭の中のイメージ通りに動かすことのできる力など、それら数ある能力が結びついて初めて可能となります。

体が大きくなれば、何もないところから話せるようになるわけではなく、特に、内言語を迎えるまでに経験した、お母さん、お父さんからの、子どもへの言葉かけ(体験)が、たいへん重要な意味をもっていることは、あなたに、わざわざ言うまでもなく、ご承知のことと思います。


 子どもは考える能力がありますし、親のクローンでもありません。人生を選び、自分で人生を勝ち取っていく権利があります。

それでも、「選んだ先の答えと価値を知らない、その比べる術を持たない」時期の子どもに『選択』をさせては絶対にいけません。

絶対に、いけないのです。失敗させてはいけない、ということではありません。ただし、安易な失敗をくり返すことが、当り前のこととして、子どもの答えにならないようにしていただきたいのです。

子どもの活きる権利と、生きる中で発生する義務、そして、ヒトから社会から与えられる価値に気づき、選び取れる経験と力が育まれるまでは、親として、大人として、子どもをしっかりと導き、歩ませてあげてください。

それが、親として、大人としての確かな責任ではないでしょうか。


子育て応援NPO 保育所風の子 代表理事 遠藤 登


「子どもの足と健康を守るプロジェクト」をすすめています

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