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ホリスティック育自学の探求

ツイッターと、保育を見えるようにすることと、安全を守ること

 保育所風の子の遠藤です。
八王子市は、ようやく今日ぐらいから、22年度の認可保育園
申込み結果がくばられてくるナウ

(by ツイッター風つぶやき at 2010.02.23)
※ツイッターとは、「今まさに、なになにしてます。なになにが
 起きてます」と、140字以内で“つぶやく(投稿する)”ことを
 中心にして、つながりあう流行りのサービスのこと
 今さらながら、ツイッターというものが流行っている
らしいということなので、
まだ、はじめちゃいませんが、
とりあえずアカウントをとって、有名どころの
気になるものを覗きながら、
そのツイッター文化というか、
そのツイッター世界だけに通じるロジックみたいな
ものを観察しています。
 ただ、まだ、個人的には、おもしろさと必要性は
感じていません。
なにより見るだけでは、わからないことも多いですね。
しかし、ブログって何?と、
世の中にかなり遅れていた保育園業界でも、
今では、かなりの数の保育士や園長先生といった
人たちがつかうようになってきましたし、
もしかしたら連絡帳などを書かないかわりに、
「今、お散歩に出ます」
「ケンジくんと、チャコちゃんが仲良く手をつないでます」
などなど、リアルタイムにツイッターで伝える(つぶやく)
日がくるのでしょうか?
音声入力と合わせれば、できるのかもしれません。
 そんなことを思っていたら、
すでに学校レベルでは行なっているところがあるそうです。

 松伏町の町立松伏第二中学校がインターネットの投稿・閲覧サイト「ツイッター」を使い、修学旅行などの学校行事をライブで発信している。140字以内の「つぶやき」と呼ばれる短い書き込みと写真で、生徒たちの様子が即座に分かるため、親たちにも好評を博している。

ツイッターで学校行事発信  松伏第二中(埼玉)よみうり

 ツイッターは鳩山首相が情報発信に活用していることでも知られる。登録すれば誰でも無料で利用でき、投稿は一覧表示される。例えば、親が松伏二中を「フォロー」という形でチェックしておけば、学校がどんな投稿をしたかが逐一分かる仕組みだ。

ライブカメラやブログもそうですが、
こういったインターネットを介した道具を使用するときには、
ちょっとした注意が必要ですね。
 とくに、ツイッターなどは、『140字のつぶやき』という
気軽さに慣れすぎてしまうと、
個人ではない学校や保育園という、責任ある
立場の人間にあるべき
だれが、だれに、なんのために情報を発信していくのか、
といった目的意識をもたないまま、
流れに任せて、つかってしまうことがあります。
そうすると、気づかずに生徒や園児を危険にさらして
しまっていたり、
先生や学校の品格をそこねたりしてしまいます

それでも、
連絡ノートに、日々の保育園での出来事をつづろうとすると、
時間の制約だったり、
ノートのスペースの限界があったりして、
やむなく捨ててしまっていたような、子どもたちの
なにげない姿や言動を、
伝えるだけじゃなくて、文字に残すをいうことをして
あげられることは、
もしかしたら、大きな大きな革命なのかもしれませんよね。

がまんができ、話を聞ける子どもでいてほしいと想いませんか?乳幼児にも必要とされる環境・教育があります。

 保育所風の子の園長、遠藤です。東京八王子から発信しています。
今回のお話は、
お母さんの愛情と、親子の絆とともに、多くの人の手をたずさえて
子育てをしていくことが、とても大切だというお話です。
例えば、お子さんが生まれて、ある程度大きく成長し、
活動が活発になってくると、
「早く立って歩いてほしい」・「ことばを話すようになってほしい」
といった願望が出てきますね。
 たとえばその中の 「ことばを話す」ということは、
歩くことと同じように、全身の運動機能や
神経感覚の統合と発達、
そして何より脳の成熟も欠かすことができません

特にその脳の働きは、およそ成人の60%程度まで
近づく必要があるといわれています。
そしてこの60%におよぶ脳の育ちを促すには、規則正しい
生活や、身体の発達に合った十分な運動が必要です。
それは手を使ってよく遊び、いろいろな体験をすることに
よって認知力や社会性が向上し、
ことばを話すことの基礎ができてくるのです

 ことばがでる以前の段階をいかに豊かに過ごさせるかは、
子どもたちを取り囲む周りの大人にとって
“重大な課題”であるということを、まず親が、十分に
認識しなければならないと思います

少し話がとびますが、
みなさんも有名な 「オオカミ少女(オオカミに育てられた
女の子)」の話をご存知のことでしょう。
 どうやら実話ではあるようですが、
最近の研究では、
オオカミに育てられたのではなく、女の子がもともと
障がいをもって生まれてきていて、
昔のことなので、
生まれつきの障がいに対して理解もなく、
発見されるまでの間、
人としての生活を送らせてもらうことがないまま生きてきた
子どもだったのではなかったかとも言われています。
 物語の中では、この後、この少女を育てた
人々の愛情によって、
立派な女性として育ち、人としての幸せを得られたとあります。
しかし実際には、
生まれてから、しばらくの間子育てを放棄された子どもは、
人としての心の成長や、ことばの面においては
取り返しがつかない場合もあることが、
赤ちゃんに対する多くのの研究によって実証されています。
 これは赤ちゃんに対して、適切なことばがけをしたり、
いろいろな経験をさせたりすることが、
とても大切だということ
を指し示していますね。
 「集団生態学」といった学問においても、
ゼロ歳児からなる異年齢の子どもたちが、まるで兄弟のように
日常的に同じ空間を共有することは、
お互いを気遣う、“思いやり”の心が、よりこころ深く育まれ、
言語活動の発達も早まることが実証されています

 保育園にお子さんを預けるという選択肢をもつことは、
けっして働く親のエゴという話だけで済ませる問題では
ないということも念頭において、
早くから子育てのサポートを受けることも、ぜひ、考えて
みてほしいと思います。

大学 => ゼミ=> 経済 => 待機児童 => 託児所運営?

 保育所風の子の遠藤です。
毎年、10月になると、ある同じような電話(またはメール)がきます。
○×大学に通っている、~~と申します。
大学のゼミで、経済(または福祉)について研究していて、
世の中の待機児童の問題を解消するには、
どうしたらいいだろうと思い、
自分たちで託児所をつくる(企画してみる)ことにしました。
そこで、(無認可の)経営についての
お話をうかがいたいのですが
・・・』
 大学がちがったり、専攻がちがうだけで、大まかな
内容はいつも一緒です。
まぁ、大学生が、世の中のことを知ろうと、また、社会の
役に立てないかと、一生懸命、勉強しているなら、
よろこんでお話できることはしますよと、今までは
お返事してきたんですが、
なんだか、年々、おかしなことになってきています。
 大人(社会人)でも、待機児童があふれて、保育園を
利用できずに困っている母親がたくさんいる、
じゃぁ、託児所をつくろうじゃないか!と、
個人や法人が新規に保育事業にのりだす世の中ですから、
学生さんの間でも、
「待機児童って問題があるんだって。
キャリアウーマンの母親たちが社会進出をはばまれて
困ってるそうだよ」なんて話になれば、
託児所がもっとあったらいいんじゃない?
自分たちでつくれるものなのか、研究テーマにしてみようと
思うのもムリはないんですが、
(それを、基本的には無謀だとは思いません)
こうも毎年、毎年、同じテーマで、同じゴールを目指す
学生が、よく出没するもんだなぁ、
と感心してしまいます。
入口は一緒でも、もうちょっと違う、学生ならではの
思い切った切り口も見せてほしいところですが、
まぁ、そこは口出しすることろではありませんね

 最初は、結局、どのようにまとまったのか、
お礼がてら聞かせてくれるような気が利く学生がいたらいいなぁ~、
ぐらいに思っていたんですが、
だんだん、自分たちの聞きたいことをメールで
一方的に投げかけてきて、
その質問のつながりが分からないので、詳細をもとめると、
ぷつっと返事がこなくなることが、
ここ何年か当たり前のようになってきていました。
・・・そして今年、というか先日のこと。
○×大学にかよう者ですが、ゼミで待機児童について
研究していて

自分たちで託児所をつくろうということになって、
話を聞きたいので

(すぐ近くにいるから)今から行ってもいいですか?
という電話が、
お子さんたちのお迎えが一番、集中する時間帯に
重なるように、かかってきました

「今すぐですか? 事前に連絡ももらってないし、
今は忙しい時間だからムリですねぇ。」
では、(今から)電話で質問にお答えください
いや、だからぁ、今すぐは、連絡ももらってないし、
ムリですって。
お手数ですが、あとで連絡をあらためてください。
日程を決めて、それからだったら、できるかぎり
協力しますから

だめなんですか?分かりました・・・
 わたしは、そんなに、がっかりさせるような
物言いはしなかったと思うんですが。
・・・それから1時間ほどして。
すみませ~ん。パンフレットなどありましたら、ほしいんですが、
ありますか?
」と、若いおねえちゃんが、ご来園。
「?」・・・最初、とっても若いお母さんだなぁと思ったんですが、
なんだか様子がぎこちない。
(あれ?お母さんじゃぁなさそうだな~)「すみません。
どのようなことで、うちのパンフレットがいるんですか?」
・・・(相手)、しばらく口ごもる。
そしたら、突然、壁のカゲから、もうひとりが出てきて、
あのぉ~、あたしたちぃ、○×大学にかよってるものでぇ。」
「あぁ~、さっきの!(電話をかけてきた子たちかぁ)」
そうです。電話で話を聞くのもダメって言われたんでぇ、
パンフレットをもらいにきました

 即効、ことわりました。
いや、学生だということ、ゼミで研究しているということを
疑って、出し惜しみしたわけではありません。
女の子たちは、しきりに
電話した、電話したのにぃ」と言ってましたが、(苦笑)
わたし個人としては、とても悲しく、
今でも心に大きくひっかかっています。

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食育:子どもの中に育ってほしい「食へのよろこび」

 保育所風の子の遠藤です。
わたしたちは、NPO法人として認可外保育所を運営しています。
認可外保育所というものを、ざっくりと説明すると、
「国基準」にしたがってつくられた認可保育所にくらべて、
「国基準ではない形」でつくられた認可外保育所になります

これは言い方の問題?(笑
よく、国基準を満たせない保育所と勘違いされますが、
(実際に、そういう部分もありますが・・・)
保育所運営において、
あえていうなら「満たさない選択肢もある」ということです
 保育所開所当初、わたしたちの一番の悩みは、
給食をどうするか?ということでした。
給食室は、衛生管理上、つくっていなかったので、
給食センターといったところに発注すればいいと
考えてました。
でも、どこも受けてくれません。
給食センターが受けつける最低発注数が、
その当時で 50個~100個でしたし、
当日によっても、園児数(注文数)が変動する、わたしどものような
運営体制では、発注規模が小さすぎて、
給食センター側が、とても商売にならないというわけです

 民間の仕出し弁当屋さんと交渉したり、福祉施設向けの
お弁当をつくっている会社に相談したりしました。
最初、一日平均20個からでいいですよ、と引き受けて
くださったところでは、
毎日、コロッケ、エビフライなど、メニュが揚げ物ばかりで
ご飯のほかに2品程度、おかずがつくだけ。
こりゃ、こどもたちがかわいそうだと、断って、さがした
先は、小さな食堂の厨房でした。
お弁当づくりなんてやってないし、ましてや、小さなこども
用のメニューなんて、基本、考えたこともない。
それでも、こどもたちのためにと、お弁当箱さがしから、
一生懸命やってくださり、
メニューも、日替わりで、できるかぎり栄養バランスのいい
ものを、食べやすいものをと努力してくれました

 そんな給食事情ですが、
開所当初は、すでに仕事をしながらも、認可保育園に
入園できないご家庭の
駆け込み寺的なところもありましたし、
料理がちょっと苦手でというお母さんも多かったので(笑
給食利用は9割ぐらいありました。
その利用率が、最近、ちょっと変わってきています。
すこし減ってきました。
なにが変わったかというと、お母さんたちのライフ
スタイルが変わったというより、
たとえば、お父さんが送り迎えをするご家庭が
ぐっとふえて、
それだけでも、お母さんに時間的余裕ができて、お弁当を
つくってあげやすくなったって言います

あとは、家庭内ごとの経済格差ということもあるでしょう。
お弁当にして、保育料の負担をすこしでも軽くしたいのです

 そんな中で、
キャラクター弁当だったりとか、バランスにこだわった
お弁当を準備するお母さんもいれば、
コンビニのパンだけ、というお母さんもいます。
まぁ、そういった「差」は、むかしから存在しました
でもね、ちょっと首をかしげるような「差」が出てきます。
毎日、一生懸命、お弁当をつくってくれている。
忙しい中で、精一杯なのが伝わってくる。
でも、料理下手とか、手抜きともちがうんだけど、
え?これを、こどもに食べさせるの?
お家でも、こんなご飯を食べさせているのかな~と
心配になってくるんです。
 これから述べることが、すべての原因というわけでは
けっしてありません。
ただ、つよい影響をあたえている面もあるだろうと
考えています。
「母乳育児」と、スローライフ的子育て。
できるだけ母乳で育てる効果・効能は理解しています。
そして、大人の都合で断乳させたりしないで、お子さん
たちが飲みたいだけ、おっぱいをすわせてあげる、
その心身の発育にあたえる、一定の効果も個人的に
認めています

ただ、その延長線上で、食の細いこどもや、食わず嫌い
の多いこどもを、
つくりだしている事実があると感じています。
そして、いざ、食事だけに切り替えたときに、適切な
食事の作り方が
分からないお母さんが、一段と増えています

中には、味覚障害があるのではないかと思うような
お母さんもいます。
 たぶん、こういった現象は、保育所風の子だけの
問題ではないでしょう。
こういった問題を知るわたしたちは、何ができるので
しょうか。
保育園といえば、とくに認可基準などでは、
最近、緩和されつつあるとはいえ、
給食室が完備されていて、お子さんたちに、いつでも
あたたかい給食の提供をすること、
給食を身近でつくってもらえることで、食べ物に
対して、大切な気持ちを育むことが、
ずっと長いこと義務付けられてきました。
 もちろん、お預かりしたお子さんたちに対して、食事
といった生活の質の保障をしていくことは、
大切な意味があることです。が、反面、
お家のことは、ちゃんとお家でやってよ!と突き放す
部分は、
保育園も幼稚園も少なからず、存在してきたと、
わたし個人は感じています

そして、家庭内のことに首をつっこむような事がらで、
こどもの福祉を大きくそこなうこと以外は、
「子育て支援事業」だとか、
福祉にそぐわない、市場経済性のあるサービスであって、
保育ではない、とする意識も大きいものです。
もうすこし、意味のある議論を重ねたいと願っています。

保育の真実と保育の可視化のあり方

 保育所風の子の遠藤です。東京八王子から発信しています。
2,005年3月、神奈川県川崎市宮前区の託児所で、1歳6ヶ月の男の子が手洗い場で溺れて、残念ながらお亡くなりになるという事故があり、
2,009年10月に不起訴処分となったことについて、その処分は不当として、先日、男の子のご両親が検察審査会に申し立てをされたそうです。
 事故当初と、不起訴処分が決定される前後の、元園長の供述が変わっていることが問題となっているようです。
真実は、この元園長しか知らないようであり、ぜひ、お亡くなりになった男の子がうかばれる決着をつけてほしいと、つよく願います

新聞報道などでしか、事故のことは分からないので、あまり内容や、元園長の供述について深くふれるようなことはやめておきますが、
保育園経営者だけじゃなくて、保育に従事する人間すべてと、考えておかなければならない事柄について、ひとつふれておきたいと思います。
 保育所風の子では、以前、ライブカメラという、インターネット上で、保育の様子を保護者の方々に観ていただけるようなシステムを導入していました。
そのころは、「ライブカメラをつけてます」というだけで、わたしたちのような認可外保育所でも、(いや、認可外保育所だからこそ) 安心していただけるようなところがあったからです
安心ということ以外にも、核家族化がすすみ、遠方に
お住まいの、おじいちゃん・おばあちゃんが、
「めったに会えない孫の姿を見ることができるので、
 毎日、パソコンの前で正座して、
 保育園がはじめるのを、今か今かと待ってます」という
よろこびの声をいただいたこともあります。
正直、思いもしなかった付加価値に、ライブカメラを
つけたことに自信もうまれました。
しかし、ある日突然、思いもしなかった事態が訪れます
 いつもお迎えにくる時間よりも、ずっと早く、突然、
連絡もなく、お迎えにきたお母さんがいました。
わたしと顔を会わせたとたんに、
「先生は、うそをついている」

わたしに、まったくしゃべらせる間も与えることなく、
責めるような言葉をあびせつづけます。
事態がまったく理解できないわたしに、
その母親が取りだしたものは、一枚の、写真が印刷された
コピー用紙でした。
 保育所風の子でライブカメラを設置し、よろこばれていた
と思っていたさ中、突然のクレームさわぎが起こりました

そのご家族は、2週間ほど前に入園したばかりでした。
お子さんは、保育所風の子にくるまで、母親から離れて
生活したことはありませんでした。
それまで、一日のうちで、全くというほど母親から離れた
時間を体験したことすらなかったそうです。。。
1週間たっても、
わたしのことも、女性の先生もだれも、そのお子さんの
こころに入れてもらうことはできませんでした。
それはそれで、わたしたちの保育の質が問われる、
お恥ずかしい話です

でも、少しずつですが、泣きつづける時間もへり、まだ
表情はカタいまでも、
何となく、落ちつく居場所を見つけたらしい様子もあって、
大人がそばにいるより、ひとりのほうが落ちつくような
そぶりを見せるときは、しばらくの間、
少し離れた場所から、わたしや、ほかのスタッフが見守る
日がつづきました

 そんなときでした。
「少し慣れてきたようですよ」という、お子さんをお迎え
にきた、その帰りがけのスタッフの言葉に安堵し、
ライブカメラを観たくて
園にお子さんを預けるようになってから、
あたらしく買ったというパソコンで、
はじめてカメラのページをひらいた瞬間、
その目にとびこんできた画が、、、
そうです。
画面の中で、お子さんがひとり、ポツンと立ちつくしていたそうです
すこし離れて見守っていた、わたしたちの姿は、カメラの
まったくの死角となっていました。
「保育園は、うちの子を、ひとりぼっちにしている。
 人見知りのはげしい、あの子に、ずっと寄り添っていて
 くれるのだと思っていたのに」
 母親は、その画をすぐさまプリントすると、すぐさま
園へとやってきました
。。。
その後、わたしたちに学ぶべきことは、たくさんありました。
保護者に伝える言葉ひとつひとつの重みと、
そして、本当の信頼がきずかれるまでは、保護者が
見たものや、聞いた事がらで、
保育について何かを感じた瞬間こそが、保育のすべて
となりうることを

たとえ、いくら、その前後にどれだけすばらしい保育をして
いたのだと言いわけしても、
それを受けとめてくださるのは、
真に、わたしたちを信じていただける気持があってこそ
なのだということを
。。。
 わたしたちは、万が一の事故を起こしてしまったとき、
真実を伝える義務があります。
もちろん、それ以前に、不慮の事故、不幸な事故をできる
限り、ふせがなければなりません

しかし、事故が起きたときにかぎらず、
日常のすべての真実を、「真実」として受けとめていただける
日ごろからの姿勢が問われていることを、
忘れずにおこうと思います。

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